55-6-10(ダリの鏡 12/31)



 テヴォーの『不実なる鏡』には、ダリの作品についての考察が含まれている。  『六つの本当の鏡に束の間反射する六つの仮想的な角膜によって永遠化されたガラの後ろ姿を描くダリの後 ろ姿』がそれである。1972年から1973年に描かれた絵だ。


図24

 テヴォーが美術評論家として追うのは、ダリが自画像を描くにあたってどのように鏡を使用したかである。
 だが、チェスとアナグラムと沈黙の関係を追い続ける我々が注目しなければならないのは、別の一枚の絵で
ある。
 その絵のタイトルは『アフリカの印象』。
 すなわち、ルーセルの舞台を見たダリが1938年に追想的に描いた作品だ。

図25(『アフリカの印象』)

 
 テヴォーが指摘することのないこの作品にこそ、我々は異様なものを感じなければならない。
 絵を描いている自分の像をダリは執拗に描いた。
 もしも、その方式の始まりがこの『アフリカの印象』だったとしたらどうなるだろう。
 まだ調べがすんでいないので、是非ともダリにくわしい方からの情報をお待ちしたいのだが、もしそうだっ
たとしたら、ダリは『アフリカの印象』を描くにあたって初めて「鏡」を意識的に導入したことになるのであ
る。
『六つの本当の鏡に束の間反射する六つの仮想的な角膜によって永遠化されたガラの後ろ姿を描くダリの後ろ
姿』を見るかぎり右利きのダリは、『アフリカの印象』を描くにあたって左の手をこちらに差し向けている状
態を描いた。絵の中で自分が左利きになる矛盾を、絵筆を持った手をカンバスで隠すことで解消しながら。
 そして、やがて『六つの本当の鏡に……』のような作品で合わせ鏡を使い、右利きの自分をそのまま描いた
のである。

 55-2-4で僕はこう書いた。 「しかし、僕は想像するのだ。一九一二年、パリ、アントワーヌ座。デュシャンの目の前で光が明滅し、舞台 中央に現れたbと書かれた大きな板の前に鏡が差し出されるのを。そして、デュシャンがそこにチェスの暗示 を感知し、光と鏡について思考し始めるのを。それはそのまま絵画自体、いやタブローという形式それ自体を 考え直すことに他ならない」

 この直観を裏付けるもうひとつの証拠が、ひょっとするとダリの『アフリカの印象』なのではないか。  そう僕は今考えている。  もし初めてでないとしても、ダリは「鏡」を使用して自画像含みの『アフリカの印象』を描いた。  それはルーセルの『アフリカの印象』の中に、“鏡を必要としないながらも、強烈な鏡像性・対掌性が存在 していた”からではないのだろうか。  果たしてそれはルーセルならではのアナグラムにひそんでいたのか。  それとも、実際舞台に巨大な鏡が出現したのか。  はたまたチェスの白側・黒側の対掌性への言及が重なったのか。

 少なくとも、そこに“強烈な鏡像性・対掌性”が存在しない限り、デュシャンは『大ガラス』を作りはしな かっただろうと僕は思う。ガラスは“鏡を必要としない鏡”であり、それをはさんだ両側に実体的なものがな い状態で互いの像を映し込んでしまう性質を持つからである。

『一般言語学講義』では、シニフィエ/シニフィアンの図示において棒線を使う。  だが、そこにガラス板が置かれる図を僕は想像する。  棒線によって区切られた聴覚映像と概念はあまりに単純に分割されてしまい、互いに貫入しあうことがない からだ。しかし、それがもしガラス板だったら、互いは互いをうっすらと映し合う。貫入し合い、曖昧になる からこそ、正確なる二分割への飽くなき欲望を刺激する。

 最も優秀なソシュールの弟子であったにもかかわらず、いまだに正体も行方もわからないコンスタンタン。  小説家の欲望はあり得ないことを断言させようとする。

 コンスタンタンはデュシャンだ、と。  そして、そのデュシャンに言語の謎を教えたのはルーセルの舞台だった、と。

            



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