
55-2-4(ルーセルのプロセデとチェス)
ルーセルの手法にはもうひとつチェス的な観念がひそんでいる。あの二つの文をもう一度見 て欲しい。変化しているのはbとpである。この事実については故東野芳明氏が「ちょうどbを 上下逆の鏡像関係におくとpになるわけだが」と短く触れたことがある。「上下逆の鏡像関 係」というと面倒だが、「b」と書いた紙を持って鏡の前に立ってみれば簡単だ。鏡の中の自 分は「p」を現実界に向けて差し出していることがわかるだろう。
チェスはたびたび鏡とともに語られる。なぜなら、キングとクイーンの位置が鏡像的だから だ。白にとってはキングは左、黒にとってはキングは右。クイーンはそれぞれ逆位置。した がって、鏡に映したのと同等に見える。
僕もあるホテルでチェス盤を出し、駒を並べてしばらく盤面を見つめるうちにふと机の前の 鏡に気を取られてしまったころがある。鏡の向こうにある自分陣営の駒が、まるで盤面にある 相手の駒のようになってこちらを幻惑するからだ。
ルーセルが薄気味悪いくらい、チェス的な暗示に満ちた創作をしていたと気づいたのも、そ のホテルでのことである。
白と黒の反転、つまり光の明滅を根本とし、鏡像関係にある二つの事物を操作すること。つ まりそれがチェスの抽象的な意味である。
そしてルーセルはチェスに親しむことのないまま、チェスが持つそのきわめて絵画的な意味の 核心にとらわれていた。光と鏡がルーセルをとりこにしていたということである。デュシャン はその事実を受け取った唯一の同世代人だったのではないか、と僕は考える。
ただ、『アフリカの印象』の舞台がルーセルのチェス性を伝えるものだったかどうかはわか らない。くわしい舞台内容が失われているからだ。残っている配役表と原作を緻密に照らし合 わせてもみたのだが、果たしてそこに白黒の強調があったかどうかは定かではないし、まして やbとpの鏡像など記録されていない。
しかし、僕は想像するのだ。一九一二年、パリ、アントワーヌ座。デュシャンの目の前で光 が明滅し、舞台中央に現れたbと書かれた大きな板の前に鏡が差し出されるのを。そして、 デュシャンがそこにチェスの暗示を感知し、光と鏡について思考し始めるのを。それはそのま ま絵画自体、いやタブローという形式それ自体を考え直すことに他ならない。
そうでなくては、奇怪なだけのルーセル作品がデュシャンに影響を与えたはずがないではな いか。
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