DECEMBER

冬の都会派/水草(photo)(次の頁=球根たち/アマリリス

●十二月の部屋/冬の都会派(1996,12,3)

 都会の園芸野郎にとっては厳しい季節の到来だ。
 ベランダに出しておいた鉢のいくつかを部屋に収納しなくてはならないからだ。
 そもそも部屋が狭いからこそベランダを利用していたのである。そしていい気になって鉢を増やし続けてきた。
 そのつけは一気にやってくる。冬はまるで借金取り立て屋のように攻めてきて、部屋中を泣き叫ぶガキどもでいっぱいにする。
 昨日までベランダの隅で伸び伸びやっていたオリズルランの双子は、窓際に取り込まれる。小さな花をつけていた宿根サルビアも、北風を避けてソファの横にへばりつく。金のなる木は馬鹿でかい図体で出窓を占拠する。とうに実をつける気のなくなったコーヒーの樹にはカーテン越しの日を当ててやらなければならず、食卓に寄与することの多かったバジルもそろそろ潮時だ。
 こうして部屋は夜逃げ寸前の状態になる。
 それぞれのガキどもはそれぞれの癖を持っているから、あまりおかしな置き方も出来ない。風通しを好むやつに、じめじめが好きなやつ。黙って冬の空気にあたっていてくれればいいのだが、やつらときたらそうもいかない。いかにも、もう明日死んでしまいますとばかりに葉を黄色くさせ、また茎をもたげて救助を要請しやがる。
 なぜこんなに鉢を増やしてしまったのか。
 都会の園芸野郎はここで頭を抱える。なぜなら、これから始まる冬をいつにもまして狭い空間の中で過ごさなければならないからだ。ガキどもを養うために自分自身の生活を犠牲にし、CDやら本やらを整理して捨てる。テーブルと椅子の距離をこまめに小さくし、その分鉢がひとつでも余計に置けるよう工夫をする。
 ヒーターの近くにガキどもを置くことは厳禁だ。すぐに乾いて茶色になってしまうし、しじゅう葉水を与えていなければならなくなる。
 こんな状況で冬を越せるなんて、まったく奇跡に近い。
 しかし、都会の園芸野郎はそれをやりおおせてみせるのだ。
 まるで、空を切り裂く寒気に耐えて春に芽を出す球根のように、都会の園芸野郎はじっと息をひそめて生活を続ける。
 春が来たら見てろよ、畜生め。鉢を全部ベランダに出してやるからな。そうつぶやきながら、彼らは鉢に囲まれたベッドで眠る。もちろん、ヒーターは控えめにしてあるから、体はガタガタ震えている。
 そして、反動は春から夏にやってくる。
 思わずたくさんの鉢を購入してしまうのだ。
 こんな風に、都会の園芸野郎は悪循環を生きている。
 それが都会で生きることのそもそもの条件だから仕方がない。


●十二月の水草/水草が欲しかっただけだ(1996,12,4)

 最初は水草が欲しかっただけだ。
 本当は蓮の花がよかったのだが、ベランダにでかい甕を置くのが大変で我慢をしたのである。それで水草にしたのだ。
 当初はフィリピンで買ってきたガラスのロウソク入れに浮かべておいた。本来、真鍮の棒を曲げて作った簡素な台の上に透明な半球状の容器を乗せて水を注ぎ、そこにロウソクを浮かべておく仕掛けだったのである。
 そういうロマンチックな物を見ても、俺は“あ、これがあれば水草を育てられる!”と考えてしまうような植物主義的な男だ。
 というわけで、入れ物が決まったから、俺はさっそく水草を買ってきて浮かべておいたのである。
 ところが、容器は小さすぎた。水レタスに似た水草は、次第にその根を茶色く変色させ始めたのだ。
 こいつはやばいと思った。
 俺は閉所恐怖症である。だから、水草(水草、水草と言っているが、俺だって種類くらいは名指したい。だが、花屋のおねえさんに聞いても、ただ笑って水草は水草ですとしか答えなかったのだ)の気持ちはよくわかった。足を伸ばしたいけれど、前の席にぶつかってしまうといった飛行機のエコノミー状態だ。それが長く続くとなれば、旅はあまりにもつらい。
 そこへきて、俺はかわいい金魚鉢を見つけてしまった。別に珍しいものではない。駅前の金魚屋に売っていた昔ながらの鉢である。上の方が、しぼりかけた巾着みたいにドレープになったやつだ。
 俺は我慢が出来なかった。すぐに財布を出していた。
 出したはいいが、ついでに金魚(photo)を二匹買ってしまっていた。ほとんど無意識に近い行動だった。しかも、よせばいいのに、金魚用のあの長い水草まで買っていた。
 だが、二週間ほどすると、みるみるうちに金魚が巨大化した。金魚鉢はすぐに狭くなった。二匹は度々、車が後退するように動き、それから体をひるがえさなければ移動出来なくなったのである。
 こいつはやばいと思った。
 俺は閉所恐怖症である。だから、金魚の気持ちはよくわかった。いわば、エレベーターに閉じ込められた時の心境である。俺は香港と中国の国境でエレベーターに閉じ込められた経験があるから、金魚のパニックぶりがわが身のことのように思えた。
 酒落たセンスのいっさいない四角い金魚鉢を買うはめになった。
 当然、水草も移動した。
 それが今年の夏の終わりである。
 今、俺は毎日金魚にエサをやっている。やつらは俺が近づくとパクパク口を開けて寄ってくる。仕方なしに、必ず分量を確かめて丁寧にエサを落としてやる。最近、より白い方がより赤い方を追い回すので、エサの位置にも気を遣わなければならない。より白い方を引きつけておいてから、より赤い方の上に別なエサを与えるのである。
 とりあえず、より白い方を菜箸で追い回して、上には上がいるということを教えてもみた。無駄であった。そんな大きな社会のことなど、金魚には関係がなかったのだ。それで、やつはいつものようにより赤い方を追い回す。ストレスを感じながら、俺はともかくエサの位置を日々変え、最も平和な状態をつかもうとしている。
 十日にいっぺんは金魚鉢の掃除もしなければならない。
 もちろん、水草は元気だ。ああ、ええと、今言ったのは、もともとの水草のことである。水レタスみたいな水草のことだ。おかげでやつは元気に茎を伸ばし、次から次へと小さな水草に分裂して増殖している。
 あんまりにも増殖しすぎて、非常にエサがやりにくい。これ以上増えてもらうと金魚に迷惑がかかるので心労がたえないくらいである。
 困ったことになった。
 最初は水草が欲しかっただけなのだ。

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