FEBRUARY

水草/コーヒー

●二月の水草/そのおそるべき戦略(1997,2,04)

 その後、水草は増えに増えた。金魚鉢の水面をただようやつは激しく分裂を続けたし、水中に潜む長細いやつも(こいつの名はアナカリスと判明した)あちこちに枝を伸ばしたのである。
 二匹の金魚には移動可能なエリアがほとんどなくなった。エサを撒いてやると、必死に体を揺らし、なんとかアナカリスの包囲を解こうとするのだが、水中の鉄条網は厳しく彼らを責め立てる。やっとの思いで上がってきても、そこには機雷のごとき水草がびっしりと構えていて、容易にはエサを渡してくれない。
 そして、ついに金魚は痩せ始めた。
 これではいかんと思った。飼い出した当初は、心のどこかに死んでくれさえしたら……という思いがあった。だが、すでに数ヶ月を共に暮らした小動物である。何かしらの愛情がわいてしまっていた。金魚どもの生存権をかんがみ、俺はとうとう断腸の思いで水草を整理することに決めた。
 金魚鉢から洗面器に移した水草は、まさにどっさりあった。重量を感じるくらいに、やつらは増殖していた。さて、どいつを捨てようか。俺は洗面器に手を突っ込んで、何度も吟味した。こいつは黒ずんじまってるし、こいつは元気がないなどと仕分けしていくのだが、困ったことに黒ずんだり元気をなくしたりしている水草の野郎は、必ず新しい葉や枝を伸ばし、その新部門の方で若々しく頑張っている。
 したがって、いくら吟味しても、水草はいっこうに減っていかなかった。俺は洗面器の前でむなしく水草を触り続けるのみで、かえって愛情を濃くしてしまったのである。せっかく育ったものを一本たりとも捨てることは出来ない。俺はヒロイックにそうつぶやいたが、要するに手切れの悪い浮気性みたいなものであった。
 俺は途方に暮れた。
 途方も暮れたが、日も暮れた。部屋の明かりをつけることも忘れた俺は、まるで病人のように洗面器の前に座り込み、暗がりの中で水に手を入れては出すという魔物のような行為を繰り返し続けた。
 さすがにそのままでいるわけにはいかなかった。通常の人間の生活を失うおそれがあった。よし、と立ち上がった俺は、以前金魚を入れておいた金魚鉢を出すことにした。物をごちゃごちゃ増やしたくないと願う俺なのだが、水草のためなら仕方がなかった。水をいっぱいに張り、そこに水草を分けることにしたのである。
 やってみると、これが思いの外きれいだった。昔の型の金魚鉢にそよぎ、また浮かぶ二種類の水草は実に美しかったのだ。
 ようやく明かりをつけて、俺はその水草専用鉢に見入った。見入ったのはいいが、何かが足りないとも思っていた。
 俺はダウンを着込み、自転車に乗って駅前に向かった。
 そして、メダカを五匹買っていたのである。

 もう駄目だ。
 水草は必ず増える。増えれば捨てにくい。
 となれば、分けることになるだろう。
 分けたら、魚を買わずにはいられない。
 なぜだ。なぜ植物主義者の俺がまたも魚風情の世話をしなければならなくなったのだ。
 俺ははめられた。水草にまんまとはめられた。
 水草はおそろしい戦略で俺を魚人間にしようとしている。


●二月のコーヒー/静かな古株(1997,2,024)

 コーヒーの木がある。
 すでに二年半は育てているから、比喩としても植物的にも古株である。
 確かこいつは花屋でわざわざ注文し、取り寄せてもらった。アラビカ種と書いてあった。出来ればブラジルがよかったのだが、贅沢は言えなかった。
 俺は自分でコーヒーの実を摘み取りたかったのである。でもって、それを乾かしたり挽いたりなんだりして、最終的には飲みたかったのだ。
 昔はコーヒーが飲めなかった。あの強烈な匂いをかぐだけで酔ってしまう体質だったものである。
 ところが、大学何年かの時、早稲田銅羅魔館というおどろおどろしい名前の劇団に誘われた。別に演劇がやりたかったわけではないが、主宰者がしつこく言うから入ってやった。俺より一回りも二回りも上の人である。
 その人は山口昌男グループの人物で、つまりは民族学や文化人類学にも通じていた。要するに俺は学問的な興味があったのである。おかげで、俺は東北まで山伏神楽を見にいったり、各大学の人類学系教授に俺のピン芸のネタを見せたりして楽しくやっていたものだ。ネタ的にはそういった人向けのものが多かったのである。
 その劇団が持っていた劇場は、早稲田小劇場の跡地にあった。主宰者はコーヒー屋 を経営していた。したがって、劇場に行くには強いコーヒーの匂いの中を通らざるを得ない。最初は行く度酔っていた。だが、よくしたもので次第に慣れてしまい、むしろその匂いが好きになった。
 ちなみに、その劇場で俺がきちんと舞台に立ったのは一度きりである。郡司正勝大先生が脚本・演出をした小歌舞伎の黒衣をやったのだ。
 黒衣といえば、なんだか寂しい気がするだろうが、同じく黒衣をやっていたのはのちにニュー歌舞伎で名をはせることになる加納幸和や篠井英介という面々だった。豪華な黒衣陣だったことになる。なんで俺が混じっていたかはいまだに謎だ。
 それはともかく、俺はコーヒーが好きになり、うまそうなコーヒー屋があるとつい入ってしまうまでになった。そして、ついに自分で育ててやろうと思いたったのである。
 ところが、コーヒーの木はいつまでたってもうんともすんともいわない。しきりに艶のある緑の葉を茂らせ、茂らせたままで伸びるのみである。花もつけなきゃ、当然実もならない。
 あまり強い日を当ててはいけないと説明書に書いてあったので、きちんとそれなりの場所を用意してやったし、こまめに肥料もやっている。それでも、野郎は艶々した葉をしきりと茂らせるばかりだ。観葉植物として改良されたふぬけなのではないかという疑惑も持ち上がったが、俺はそんな噂を信じないようにし、必死に世話を続けた。だが、いっこうに花は咲かない。
 俺は収穫がしたいのである。
 たとえどれほど少ない実りであれ、俺はコーヒーの実を摘んでみたいし、そいつを乾かしたり挽いたりしてみたいのだ。
 かつて収穫の喜びを教えてくれたブルーベリーもブドウも、どうやら死んでしまっている。唯一残っている素敵な収穫物はコーヒーだけといってよい。
 仕方なくニンニクを植えたりしているのは、コーヒー栽培に成功しないことへの代償行為に過ぎないのだ。
 誰でもいい。
 一刻も早く、コーヒーに実をならせる方法を教えてくれないだろうか。
 そうでないと、じき俺はニンニクを収穫してしまうのである。あるいは、モヤシとかを育てかねないのだ。
 それだけはやりたくない。俺は家庭菜園などというホンワカしたものを求めているわけではないのだ。あくまでも、ベランダの芸術家たるべく存在したいのである。
 そんな俺がトマトやキュウリを育てる身の上になるのか、年に一杯のみのゴージャスなコーヒーを飲むことになるのかはあなたにかかっている。
 どうか助けていただきたい。


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