DECEMBER2

球根たち/アマリリス(photo)

●十二月の球根たち/雛鳥の誕生(1996,12,24)

 とんでもない時に風邪をひいてしまった。
 おかげで、せっかく楽しみにしていた歌舞伎『妹背山婦女庭訓』の第二部を見に行く元気もなくなり、ベッドの中で一日を過ごすことになってしまった。
 先月の第一部はよかった。何がよかったって、鴈治郎の定高が抜群だった。女の気丈さが前面に出て、おかげで幸四郎の大判事清澄が完全にかすんでいた。清澄が情けない父親に見えたくらいで、あれは幸四郎の負けだろう。
 まあ、それはいい。ゆうべ、盟友みうらじゅんとの大イベント『ザ・スライド・ショー』の打ち上げで、遅くまで酒を飲んでいた俺が悪いんだ。まあ、第二部には定高は出ないんだし……。猛烈に見たかったのだが、仕方がない。
 こうして、俺は一年間の疲れが出てしまった体を引きずり、ベランダを見ることになる。いくら調子が悪くても、それだけは欠かすことが出来ないのだ。
 小さな鉢のコーナーでは、植えた球根どもが芽を出し始めている。
 確か植えたのはサフラン、クリサンサという種類のチューリップ、それから寒咲きクロッカスの面々だ
 三つの鉢に分けられたその面々のうち、芽を出しているのは二種類。どちらも白っぽい芽の先を緑に染め、すくすく育つ未来を楽しみにしているみたいに見える。
 だが、だが、である。
 俺はどれがサフランで、どれがクリサンサかわからなくなっていたのである。
 よく鉢に名札をつけるやつらがいるが、俺はそういう輩を頭から軽蔑していた。なにしろ俺は以前会社勤めをしたことがあり、新入社員時代に名札を付けられていたからだ。
 あれは屈辱だった。俺は売りに出た骨董品でもないし、幼稚園のガキでもない。なんでわざわざ誰々でございますと、それも不特定多数の人間に名乗って歩く必要があるのか。俺は市議会選挙に立候補してるわけじゃねえんだぞ。しかも、初めて作ってもらった名刺にはこんな文句さえ刷ってあった。
 「新入社員でございます」
 そんなセリフくらい、俺だって自分で言える。なぜ名刺で伝言しなければならないのかが、俺にはまるで理解出来なかったものだ。
 そんな理不尽な社会のシステムが頭にくるからこそ、俺は鉢に名札なんか立てない。やつらにしてみれば、自分がサフランであり、寒咲きクロッカスであることなど一目瞭然だ。まさか芋虫と間違える馬鹿はいないだろうし、サボテンとは一線を画す存在であることも当然なのである。ご丁寧に名乗る必要など、これっぽちもない。
 しかし、やつらにしてみれば一目瞭然でも、俺にはちんぷんかんぷんなのだ。
 冬のベランダにおける新入社員はそれでも元気いっぱいである。名前がわからない以上、部署もわからない。給与体系から保養施設の利用状況も不明である。
 とにかく、似たような体で元気いっぱい伸びつつあることだけが明確だ。
 俺が社長なら、副社長を呼びだすところだろう。
「君、近頃我が社に元気な新人がおるね」
「はあ、いますな」
「で、別に忘れてしまったわけではないんだがね、その、彼らは一体誰なんだろう?」
 誰なんだろうでは社長の面目が丸潰れである。しかし、副社長だって誰なんだかわかってはいない。だから、ひとまずごまかそうとするに違いない。
「……サフラン君やクリサンサ君、ええと寒咲きクロッカスさんの……」
「そう、そのうちの二人のことだよ。そんなことはわかっとるんだ」
「ええ」
「ええじゃなくてだね、そのうちの誰が欠勤しておって、誰が元気いっぱい働いておるのかということじゃないか、その……ええと、わしの質問はさ」
 こうして社のシステムはもろくも崩れ去る。誰だかわからない社員がむやみに元気なくらいなら、誰だかよくわかるやつがしおれていたり枯れていたりする方がましなのだ。
 結局、俺はすべてを風邪のせいにした。
 風邪だから頭がぼんやりしていて、ものの分別が失われているだけだ、と。
 そこでひとまず、俺は気丈な二人を左から定高、雛鳥と名付けたのである。雛鳥は定高の娘で、『妹背山』における悲劇のヒロインだ。恋のために自害する雛鳥の気丈さは、あの狂言の中心点だと言ってもいい。
 まだ芽も出さない弱気な鉢は、もちろん大判事清澄である。(幸四郎)と付けておいたのは、相手の真の名がわからない不安のせいだ。めったやたらと仮名を複雑にすることで、俺は自分のふがいなさをごまかしたかったのだ。そういう意味では、俺が一番“大判事清澄(幸四郎)”なのだが、そんな真実などおかまいないだ。急いで名付けをしなければ、我がベランダ株式会社が倒れてしまうからである。
 さて、現在我が社には元気な新人がいる。
 定高さんと雛鳥さんの二人である。
 彼女たちがどんな花を咲かせてくれるのかは、春にならないとわからない。
 欠勤続きで心配されているのが、大判事清澄(幸四郎)君だ。名前負けしているのか、いっこうに芽を出さないインテリであるが社としては暖かく見守る所存である。
 我が社にはもはやサフランだのクリサンサという種類のチューリップだの、あるいは寒咲きクロッカスなどいない。金輪際、そのような社員を採用することもない。
 いるのはあくまでも定高さんと雛鳥さん、そして大判事清澄(幸四郎)君だけなのだ。したがって、もしあなたが今俺のベランダを訪れた場合、以下のような質問は固く禁じられている。
「で、どれがクリサンサですか?」


 なお、鉢を左右に移動することも厳禁である。
 気をつけていただきたい。


●十二月のアマリリス/最優秀鉢植賞受賞(1996,12,28)

 なんといっても、今年度最優秀鉢植賞はアマリリス(photo)に進呈すべきだろう。
やつは十二月に我が家のテーブルの上にやってきて、いきなり大輪の花を咲かせ始め、長いこと俺の目を楽しませ続けてくれたのだ。
 三つの球根から伸びた幾本もの太い茎はどれもみずみずしく、また力強く、はたまた繊細なる空洞に満ちて優雅である。薄緑に染まったその茎はみるみる丈を伸ばし、やがて先端に赤ん坊の合掌くらいの蕾をつけ始める。蕾は涙が出そうなくらい若々しく、つややかに宙をにらみつけている。そして、みるみる赤紫に染まるとやがてその固いほころびを解く。
 驚くべきことに、すでにその蕾の内側にはさらに三つ、四つの蕾が息づいている。ついこの間までは茎と同じくらいの太さしかなかった蕾の中に、大柄な蕾が潜んでいたわけである。どんな魔術を使うのかは知らない。知らないが、それは神秘などという薄汚れた言葉など毛頭浮かばないくらいの不可思議に満ちている。生命に満ちている。強く速くアマリリスは変化をとげ、ありもしないはずだった華やかさを部屋に与えてしまう。恥ずかしいことながら、俺はアマリリスがこれほど派手な植物だとは知らなかった。
 蕾が開いた途端、そこに小さな雪平鍋の底くらいある花が現れる。つややかで、触れるとねっとりとした脂がつくんじゃないかと思われる花弁は濃厚である。それほど濃厚で大きな花が、なぜあんな空洞から出現したのかと目を疑い、現実を疑うほどだ。
 三つの球根はそれぞれ種類の違うアマリリスである。乳白色に赤い液体をふりかけたようなものや、赤い粉を吹きつけたような花びらのもの。あるいは、濃いピンクに染まったもの。それらの花が次々に咲いては、自分の重みで茎を危うげに傾けていく。
 これこそ俺の好きなタイプ、好きな花だ。
 アマリリスはついに芍薬を抜いてトップに躍り出たといってもいい。
 ささやかな花はつまらない。
 かといって、花ばかりが色づいて美しく弱々しいものも何かが足りない。
 葉や茎が荒々しいくらいに強く、そして花が咲けばその力強い葉や茎を圧倒してしまうようなもの。美しさを支える生命が強靱で、やがて美しさと強靱さが自らのうちで覇を争うような植物。あまりにも花が派手で大きく、しかも咲いたことが信じられないような速度で育つ草花。非現実的なその速度の中で、存在自体が疑い得ない現実性を主張してしまう花。
 それが俺を魅了する植物、何よりも好きな花なのだ。
 アマリリスは最高だ。
 こいつとなら結婚してもいい。
 しかし、リングを茎にはめてやるとすれば、かなり痛い出費になる。

 

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