55-6-14(ルーセルのアナグラム 1/7)



 ルーセルはアナグラムを用いてどのように書いたか。  チェス記事と同様、死後刊行本に収録した書法の秘密を55-2-2から再度引用する。

1 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux billard.   「古い玉突き台のクッションに書かれたチョークの文字」 2 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux pillard.   「老いた盗賊の一味について書かれた白人の手紙」

 1の文で始まって2の文で終わる短編『黒人の中で』が、ルーセルのアナグラムの出発 点だったわけだ。そして、同じ文中の単語を様々に解体しながらやがて『アフリカの印象』 という長編をものにする。  そのように重要なふたつの文にもかかわらず、ルーセル関係の本にはこの文そのものの 分析が欠けている。とにもかくにも、「b」「p」が違うだけで意味が変わると説明して終 わってしまうのである。55-2-2では、この二文の周囲に「白・黒」の観念がひそんでい ることを指摘した。  この項ではさらに、文の内部に横たわる構造を考えていきたい。

 まず、1も2も最後の単語に至って意味をがらりと変える以上、それまで意味が決定さ れないということである。おそらく厳密にいえば、読者はピリオドがあることによって最 終単語を決定し、一瞬のうちに「古い玉突き台のクッションに書かれたチョークの文字」 か、「老いた盗賊の一味について書かれた白人の手紙」かを読み取る。  これは言語そのものが持つ「分節化」の作用をよく示している例である。  言語は「分節」によってのみ意味を持つ。  この二文の場合、ルーセルはピリオドが持つ「さあ、分節していいですよ」というサイ ンに敏感だったことをまず指摘しておきたい。それは文章を単純に区切り、終わらせる記 号ではなく、はっきりとした分節化への許可によって全体の意味を生じさせているという べきなのだ。

 分節そのもの、意味化そのもののうごめき。  二つの文にはそれが濃厚にひそんでいる。 1 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux billard. 2 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux pillard.  ピリオドまでの間、「lettres」「blanc」「bandes」「vieux」はそれぞれ「文字/ 手紙」「白い/白人の」「端(クッション)/一味」「古い/年老いた」といった別の意 味を生成させ続け、最終的な文節を待ち続ける。  実際にはピリオドが来る手前、「billard」「pillard」で読者は各単語の意味を連結さ せて文の流れを一瞬で作るのだが、そこで文が終わっているというサインはやはり重要で ある。「流れを作ってよい」と許可されるからこそ、脳は各単語のつながりを決める。

   そして、この脳の動き、意味化の動きを構造化してみるとどうなるのか。  1の文で見てみよう。  まず決まるのはピリオドと「billard」の関係である。 A ((billard).)  ここで文が終わりだと理解し、読者が「billard」の意味を完全決定しようとすること を上のカッコは示す。  続いて((billard).)は形容詞「vieux」へと遡る。 B (vieux((billard).) )  「古いビリヤード」とは何か? 同時に次の意味決定のカッコが出現する。 C (bandes (du(vieux((billard).))))  ようやく、ここで「billard」は「ビリヤード」ではなく、「ビリヤード台」だと認識出 来、ほぼ同時にCのかたまりが「古いビリヤード台の端、つまりクッション」だと決まる。  続くのは、以下の過程である。 D (sur(bandes (du(vieux((billard).))))) E (du blanc(sur(bandes (du(vieux((billard).)))))) F (Les lettres(du blanc(sur(bandes (du(vieux((billard).)))))))

 文2でももちろん、このカッコの動きは同じである。  同じでありながら、文意は次々にかけ離れていく。  対称的な非対称と言ってもいい。  ルーセルの書法の秘密は、単に同じ音の連なりにあったのではなく、このカッコの運動、 すなわち分節化の運動にあったというべきなのである!

 なぜなら、1915年から書き始めて1928年に終わったとルーセルが言う最後の作 品において、彼はこのカッコを顕在化させるからだ。  その長大な韻文作品は「括弧やダッシュさらには註を用いて最高九重にまで言語を積み 上げた言語ピラミッド、あるいは言語を内側に折り込んで複雑な回廊を作って出来上がっ た言語の迷宮」(『ART VIVANT』1988 28号 北山研二氏)である。  その韻文作品にルーセルは『新アフリカの印象』というタイトルをつけている。  カラデックは確かこのタイトルを、“『アフリカの印象』の栄光が忘れられなかった” がゆえのものと断じていたように思う。  しかし、それは誤りである。

 ルーセルは論理的に一貫している。 『新アフリカの印象』は初期作品である『黒人の中で』からまっすぐにつながっている。

(Les lettres(du blanc(sur(bandes (du(vieux((billard).))) )) ))  この分節化の運動、つまり言語の意味化そのものの構造にルーセルはとらえられていた。  そして、1928年、誰もが見落としていたこのカッコの運動を、ついに目に見えるも のとした。 「ここに言語の秘密があるというのに」とルーセルは地団駄をふんだのではないだろうか。 「ここに言語のプログラムの秘法があるのに」、と。

 その『新アフリカの印象』の出版(1932年!)に向かいつつ、しかしルーセルは死 にも近づいていく。  まさに1928年、彼は麻薬中毒に陥る。  バルビツール酸系催眠剤を多用し続けた彼は、五年後の1933年にイタリアはパレル モへと旅立ち、グラン・トテル・エ・デ・パルムというホテルの224号室で死ぬ。  すでにルーセルはそのホテルで、オルランドというボーイに剃刀と百フラン札を渡し、 静脈を切ってくれるようにと頼んでいたし、浴室で自ら左手首を切って「オルランド! オルランド! 死ぬなんて何と簡単で愉快なんだ!」と笑ったとも伝えられる。  ルーセルは死ぬためにイタリアへと移動したのだった。  1933年、七月十三日の夜から十四日の午前二時頃にかけて、ルーセルは過度の麻薬 服用で命を絶った。  自殺に限りなく近い死の中でルーセルは射精をしていたという。

   訃報を聞いたダリは、発作を起こすほどその死に深甚なる衝撃を受けたのだった。   



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