55-2-2(ルーセルのプロセデ)



 ルーセルの死後発表された『私はいかにしてある種の本を書いたか』には、彼の作品が厳格 な規則によって形成されていたことが示されている。その規則の根源が次の二つの文の中にあ ることはよく知られている。

1 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux billard.

2 Les lettres du blanc sur les bandes du vieux pillard.

 1の文と2の文は末尾の単語の頭一文字以外、すべて同一である。にもかかわらず、その たった一文字によって「古い玉突き台のクッションに書かれたチョークの文字」から「老いた 盗賊の一味について書かれた白人の手紙」へと意味を変えてしまう。ルーセルはこの奇妙な言 葉遊びを絶対的な真理か何かのように扱い、まず『黒人の中で』という短編を書いた。1の文 で始まり、2の文で終わるというのがその短編の仕掛けである。

『アフリカの印象』はその十年後に書かれた傑作だが、ルーセルは同じ二つの文をエクリ チュールの核とし続ける。二つの文を下敷きとし、文の中に散らばる単語からだけ物語の場面 を作っていくのだ。pillardが黒人王タルーになり、blancが白人カルミカエルになるというよ うに。さらに、ルーセルは玉突き台から想像されるqueue(キュー)という単語などなどを題 材にし、そこから別の意味(尻尾、服の裳裾)を次々にくみとって小説の細部にしてゆく。

 あまりに異常で魅惑的なこの”ルーセル式”をくわしく説明したいのはやまやまだが、僕は 僕の本題に入らなければならない。問題はなぜその文でなければならないのか、にある。 一文字違いで別の意味になる文などいくらでもあり、なぜルーセルが先に挙げた文にだけ執着 し続けたのかが謎なのだ。”なぜルーセルはこの他愛もない文から創作しなければならなかっ たのか”という根源的な疑問である。

 だが、チェスを代入するとその疑問が解けてしまう。少なくともデュシャンはそう考えただ ろうと想像することも出来る。

 1と2の文を見てみる。その中に「白」という単語はある。だが「黒」はない。にもかかわ らず、ルーセルは盗賊(pillard)を即座に黒人とみなし、最初の短編を書いた。その決断は 『アフリカの印象』にも色濃く反映されている。

「黒い山の部分に<PINCEE>(逮捕された女)と白っぽい大文字で書かれた山高帽」

「黒の燕尾服を端正に着て、白手袋をはめた両手にオペラハットを持って、一人の芸術家が舞 台に進み出た」

「白い貨幣を手にした若い黒人」

「黒人の青年が、ナイフの先で、左手にのせた重いスイス・チーズを削っては、白い粉を道の 上にまいていた」

 あるいは「(壁面の)白い地から、長い法衣を着て、おきまりの帽子を被った僧侶の黒いシ ルエットが浮かび出ていた」と書かれるその壁面は、「黒い裏をこちらに見せ、目の入ってい る白い表」のドミノ札を積んで作ったものだ。

 このような白黒の組み合わせは『アフリカの印象』の特に第一部に横溢している。燕尾服は 特に書かなくても黒いし、チーズを削れば粉は白い。ドミノ札にいたっては、目の入った方が 表であり、そちらが白いと考えない人間などまずいない。それでも、ルーセルは執拗に白と黒 という言葉/色を作品の中に刻み込んでいく。この忠実さには規則があると考えないわけには いくまい。そもそも、物語全体がアフリカに漂流した白人たちの話であること自体、白と黒が 基調であることの証左なのだ。『アフリカの印象』を読んでいて脳裏に浮かぶのは、このよう な白と黒の反転、もしくは明滅のようなものなのである。

   むろん、ルーセルがチェスを暗示していたとは思わない。彼はただ、原初のインスピレー ションを与えてくれた二つの文から、なぜか白と黒を強烈にイメージしただけだ。その二つの 色がルーセルのオブセッションとなったことは否めない。

 ルーセルはかつてまばゆい光がペンからほとばしるのを見た。栄光を確かなものとして感 じ、それをありありと目にした。おかげで生涯神経症に苦しみ、ジュネ博士の治療を受け続け て、ついには薬の多用で死んだ。

 求め続けたその光、明滅の中にこそあの二つの文を選んだ原因があり、『アフリカの印象』 の秘密がある。

 



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