
55-4-2(チェスという思想 99/10/30)
では、チェスとは何か。
いや、チェスに限らない。ボードゲームとは我々にとって何なのだろうかと言い換え よう。
地球上で人類が持つことになったある種のボードゲームは、すべて「脳と四次元」に 関係があると僕は考えている。サイコロなどを使うことによって偶然性を導入したゲー ム以外のボードゲーム。わかりやすくいえば、将棋やチェスは人類が四次元を観念とし て持つための道具だったのである。チェスや将棋の原型といわれるチャトランガがインドで生まれたのは、だから示唆的 だ。
決してオカルティックな考えの中に入り込んでいるわけではない。僕のような初心者 は別として、例えばチェスのグランドマスターは盤面を読む時に数限りない選択肢に分 かれた未来をほぼ同時に思い浮かべていると考えられる。将棋の羽生名人の話などを読 むと、それはコンピュータの演算のようにしてではなく、ある種のイメージとして脳の 内部に出現する。
この状態をゲームから離して考えてみたらどうなるだろう。
目の前にひとつのコップがあり、なみなみと水が注がれているとする。それがボード ゲーマーにとっての現在の局面とすることが出来る。さて、我々はその「コップと水」 の二日後と三年後、あるいは五十年後をありありと同時に想像することが出来るだろう か。「コップと水」ばかりではない。それが置かれたテーブルや部屋や、時には窓から 見える空の雲まで含めて、我々は異なる「時間」と「空間」を一挙に把握出来るだろう か。僕は時おり試してみてその不可能性にうちひしがれつつも、奇妙な感覚の端緒に憧 れる。ビルの高い階にいればなおさらだ。五十年後、そのビルがなくなっていれば僕は 宙を想像していることになる。まさにその宙の一点にいながらにして。むろん、今と “二日後と三年後、あるいは五十年後をありありと同時に想像”出来ているわけではな いのだが。
ボードゲームの世界に存在する何人かの名人は、いわばそれが出来ると考えられる。 むろんゲームの進展と現実を混同してはならない。だから正確に言うと、少なくともグ ランドマスターたちは「時間」と「空間」の無限の分裂、そしてそれらの同時的な観想 に熟達しているのである。
これは四次元に近い。限りなく近い。少なくともアインシュタインが提示した四次元 を、三次元把握のためにしか作られていない人類の脳の内部で観念化することを、彼ら は幼少期から強いられて育つのだ。
「たて×よこ×高さ×時間」
こう書けばなんということもない。だが、我々三次元の、つまりデカルト空間を心理 的に持つ生き物はそのなんということもない定式を実体験することが出来ない。
実際の四次元をグランドマスターたちが体験しているとは思わない。しかし、限りな くそれに近い脳の状態に至るまで彼らは手を読む。あくまで比喩だけれど、読むことに よって三次元からわずかに四次元へと歪む。いや、歪む一歩手前、ぎりぎりのところま で脳を押し進める。このぎりぎりこそデュシャンが「アンフラマンス」(「酷薄」、ま たは中沢新一にならって「超薄さ」)と呼んだものではないのだろうか。“「コップと水」の二日後と三年後、あるいは五十年後”を一挙に“観る”こと。チェ スはそうした思考を我々に強制する。そう考えてみれば、デュシャンがキュビスムをす ぐに捨て去った理由も明らかになる。キュビスムは本来、そうやって「時間」と「空 間」を多数化させ、また同時的に把握するための運動であった。しかし、同じことをす るならばチェスプレイヤーの脳内部に存在する状態にかなわない。「いや、キュビスム はそれをタブローという外に現したではないか」という素朴な人もあるだろう。だが、 デュシャンならすぐに思ったに違いない。チェスも現している、と。盤面すべてがその 力を、その運動をあらわしているのだ、と。
ピカソは素晴らしい。だが、退屈だ。そこには「泣く女」の二日後と三年後、あるい は五十年後、いやそこに姿などなくなった千年後を同時に描く思考がない。またはいく ら分割した空間を統合したところで、それはたかだか十に満たない視点からの営みであ る。より多く時を超えればいいと言っているのではない。360度から把握するならCGが あるとかいうもっと退屈な考えに引きずり込まないで欲しい。問題はあくまでも、「時 間」と「空間」の無限の分裂、そしてそれらの同時的な観想にあるからだ。ダビンチは 当然そういうことをえながら描いていたに違いない。
だから、デュシャンの芸術的関心は実にチェス的である。三次元でものをとらえるこ との窮屈さ、そこにとどまり続けている愚かさに絵画がとらわれていていいのかと彼は 根源的に考え、そしてやがて絵画そのものを捨ててしまう。チェスをしながら光と影に ついて考え続ける。ここで再び言おう。デュシャンにとってチェスはただの趣味だと断ずる美術評論家の 九割は馬鹿だ。どんなことからでも根源的に考え得るという力がない者に、なぜデュ シャンが語れると思い込むのか。
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