55-4-1(ソシュールの起源断絶と外部)



第二部 ミドルゲーム(中盤戦)



『一般言語学講義』で際だっているもののひとつは、ソシュールの起源を切断 する思考である。

「どんな社会も、先立つ世代から相続し、そのまま受けとるべき所産として 以外の言語を知らず、また知ったためしもない。言語活動の起原問題が、一 般世人の思うほど重要性を持たないのは、そのためである。それは提起すべ き問題でさえない」(第二章 記号の不易性と可易性)

 この激しい言いきりがつまり、歴史性/通時性へのおろそかさという批判 にもつながった。

「どんな社会も、先立つ世代から相続し、そのまま受けとるべき所産として 以外の言語を知らず、また知ったためしもない」。つまり、我々は父母の言 語を受け取って言語活動をするという。そこまでは普通によくわかる。だ が、後段、その部分がそのまま「言語活動の起原問題が、一般世人の思うほ ど重要性を持たない」との結論につながってしまうのである。

 父母から言語を受け取る。その父母もまたそれぞれ自身の父母から言語を 受け取る。さらにそのまた父母も……。こう考えるなら、むしろ「言語活動 の起原問題」に至るべく、太古の昔に遡った想像的思考に移るのが通常だ。

 しかし、ソシュールは唐突に、その「起原」を考えるなと言う。

 この文章の断絶、亀裂にこそソシュールの過激さを見ざるを得ない。

 言語は内部からは来ない。いつでも外からやって来る。「先立つ世代から 受けとる」とはそういうことだ。ソシュールは譲れない原則としてそう考え たとしよう。

 いつでも我々は、つい起源を考えてしまう。だが、起源を考えた途端、言 語は内部的なものになるのではないか。なぜなら、起源において言語を生み だした者は、「外からやって来ない」言語を唯一持っていたことになるから である。つまり、父母から受けとらない言語を持ったことになる。すると、 “起源において内部化されてしまった言語”は遠い年月を繰り越して、ドミ ノ倒しのように我々のもとにやってくる。あたかも自分の言語が内部から生 まれたもののような錯覚が生じる。言いたいことがあると自動的に言葉が出 てくるなどといった表出論が前提されてしまう。

 ソシュールはそれを否定したかった。そうでなくては、冒頭に挙げた前段と後段がまったく意味のないものになってしまう。

 しかし、「外から来る」という絶対的な原則を譲らずに起源を切断しても、言語の謎は解けない。考えてはならないと決めても、やはり起源に最も近い場所における「外」を考えてしまう。

 その苦肉の「外」が、ひょっとするとソシュールにとっての「火星」であり、「霊」であったのではないかと僕は思うことがある。“沈黙”の時期、ソシュールは霊媒エレーヌ・スミスを研究することに没頭する。そして、あのアナグラムの法則を発見し、悩む。

 アナグラムはソシュールの中で、「内部から来ない別の言語システム」として夢見られていたのではないか

     



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