DECEMBER

アマリリス/野梅

●十二月のアマリリス/クリスマスの新しい愛人(1997,12,25)

 一年前の今頃、俺はアマリリスに対するその強いを告白したのだった。
 してしまった以上は責任を取ろうと思った俺は、咲き終えたアマリリスの鉢をそれはそれは大切に管理し続けてきた。根腐れに気をつけながら水をやり、まぶしいくらいの太陽に当てて彼女の健康を願ってきたのである。
 三株あったアマリリスはそれぞれ厚い葉を遠慮なく伸ばし、もはやサーベルそのものではないかと思われるほどの長さにまで成長した。夏、成長の過程で一株は倒れた。みるみるうちに葉を茶色にし、古いSF映画で死んだ宇宙人が消え去るような調子で、その茶色い葉は縮み、やがて跡形もなくなった。
 だが、俺はさほど傷つかなかった。他の二株から出た葉はそれ以上ない元気さで陽を受けて光っていたし、鉢ひとつで単体のアマリリスだと認識していた俺にとって、一株が消滅したことごときは女の肌から硬化した角質が取れたくらいの些末な事象に過ぎなかったのである。
 角質ならどんどん消えるがいい。そして、より美しく咲け、アマリリスよ。
 俺は心の中でそう叫びさえしたものだ。
 ところが、うっかりしていた。あまりの健康さで葉を伸ばすアマリリスに見ほれるあまり、俺は今年の花を咲かせるための用意を何もしていなかったのである。
 いや、肥料はやっていた。なにせ、相手は結婚してもいいと思わせるだけのアマリリスである。金に糸目をつけるわけにもいくまい。したがって、俺は葉の様子を見ながら、ここぞと思う時に置き肥をやった。なんというか、あたかも玄関にそっとプレゼントを置くようにして、俺はアマリリスの歓心を買おうとしたのである。あるいは、愛に乾いているなと感じられるその瞬間、俺は酒でも飲ませるようにアンプルをさしてやり、どこが耳もとか判然としないまま彼女に甘い言葉をささやきかけてきたのだ。
 だが、これこそがオヤジ心というものだろう。俺はやつを甘やかすばかりで、厳しい世間の風にさらすことをしなかった。つまり、球根を掘り上げてやり、しばしその成長を止めることで自己の人生を熟考するべく導いてやらなかったのである。
 おかげで、アマリリスは手足ばかりを宙に伸ばし、身長だけが大きい女になってしまった。他人の前でどのようにふるまうべきかを忘れ、ただいたずらに飲食のみにふけり、毎日を寝て暮らし、いつの間にか自身の内部にあった生命力を美に転換する魔術を忘れてしまったのだ。
 おお、なんということだ。ベランダー界のロジェ・バデム監督を名乗り、数々の美女を育てあげてはスクリーン(この場合のスクリーンは出窓に取り付けてあるスクリーン型のカーテンのことである)で花開かせてきたこの俺が、最も入れあげていたアマリリスをただの田舎くさい女にしてしまった……。
 俺は自分のいたらなさに涙した。連日ベランダに立ち、まったくもって健康第一、それしかないアマリリス嬢の姿を見てはため息をもらした。お前から美を奪ったのは俺だ。来年こそは、来年こそはお前に世間の厳しさを教え、必ずやカムバックさせてみせる。俺は唇をかみ切るほどの勢いで悔恨の情に我が身をゆだねた。
 そうやって、この十二月を暮らした俺は、しかし一方で花屋に並ぶアマリリスに目をつけていた。いや、買うわけにはいかない、これは別の女だ……と最大の自制心をもって対処しながらも、冬をアマリリスなしで過ごすわけにはいくまいというあけすけな欲望にも駆られた。
 そして、三日前、俺は手をつけてしまったのである。たった一株しかない鉢にしたのは、やはりどこかに罪の意識があったからだろう。
 困ったことに、新しいアマリリスはその日の夜から女優活動を始めた。天に向かう二つ蕾がまず左右に割れ、それぞれが色づき出した。中央には続く蕾の片鱗があった。次の朝には色づいた蕾がもうふくらんでいた。あたかも水しぶきを上げる鯨のようなフォルムで蕾はしなを作っている。その時点で美しさは決まったようなものだった。
 ベランダには田舎娘がいた。俺の庇護を受け、しかしそのせいで筋骨隆々とした容姿となって、しかも部屋の中で暮らし始めた新しい女の活動に気づいてもいない。不憫だ。これはあまりにも不憫だ。
 そう思いながら、さっきも俺は田舎娘に水をやったところである。あろうことか、俺は田舎娘の前に立ちはだかってジョウロを持っていた。やつから部屋の中が見えないような角度に立ち、いつもの変わらぬ表情を装っている俺は不実な男であった。
 アマリリスは俺のボタニカル・ライフに三角関係を持ち込んでしまったのである。


●十二月の野梅/病み上がりの思い出(1997,12,31)

   ひどい風邪をひいてしまった。四十度の熱が続いて、俺は年末をベッドの中で過ごしたのである。
 ようやく熱がひいても頭がクラクラし、足下がおぼつかない。おぼつかないながらもベランダの様子を気にかけるあたりがベランダーの性である。
 ありがたいことに、買ったばかりの野梅の鉢がいい仕事をしていた。盆栽まがいの形をした丈二十センチほどの梅の木。そいつの曲がりくねった体のあちこちに小さな白い蕾がついていたのだが、中の三つばかりが咲き始めていたのである。
 開ききらずに、どこかつつましく内側を向いたままの花。梅は内省的である。ひとつひとつの花が各々何かを考えている風情がある。その自己内省的な花が寒風吹きすさぶ中でほころんでいる姿は実にいい。
 俺は病み上がりの体を冷やさぬよう気をつけながら、サンダルをはいてベランダに出る。そして、咲いたばかりの梅の花に顔を近づける。風邪のせいで鼻はきかない。きかないが花びらの柔らかさは俺を陶酔させる。
 小さい頃、毎年母の郷里へ行ったものだった。庭には四メートルほどにたわめられた梅の木があった。そこに梅の実がつくと、母たちは色めきたったものだった。俺も小さいながら実を採った覚えがあった。信州では、その梅をつけて食用にするのだが、梅干しと違ってカリカリしたままで漬けるのである。それで「梅漬け」と呼ぶ。
 俺は物心つくまで、あまり物を食わない子供だった。好んで食うものといえばその梅漬けだけだったというのが叔父や叔母の思い出話の中心で、だから俺は母の郷里に行くといつでも梅漬けをふるまわれた。大きな梅の実が紫蘇で赤く染まっている。歯を当てて噛むとカリリッと音がして、酸っぱい汁がこぼれ出てくる。さらに果肉をカリカリ噛む。それだけで食欲がわいてくる。
 今年、久しぶりにその母の郷里に行ってみた。離婚してからなんとなく足が遠のいていたのだが、義理の叔父が山で亡くなり、その法要に出席したのだった。母には姉が二人おり、従兄弟にも女が多かった。幼い頃の俺はいつでもその女社会の中にいて、みんなにかわるがわる育てられていた。母の郷里に行くと、誰が母親でもおかしくないような気になった。セミを取りに出かければ、木の陰に叔母がいた。アイスクリームを頬張る廊下にはちょこんと正座した従兄弟の女性がおり、俺を見ていた。どこにいても、俺は誰かの視線の中で守られていた。今では甘い記憶である。
 たぶん、体が弱っていたからだろう。俺はそうやって無意識に、自分が完全に庇護されていた身体的な記憶を取り戻そうとしていた。 安心感を幻想として取り戻し、安らいでいていいのだと言い聞かせようとしていたのである。ほんの小さな梅の花が俺をそうさせていたことが驚きであった。たった三つの内省的な白い花が、俺を導いているのだ。
 植物はついに叔母たちのかわりに俺を守ろうとし始めている。熱の残りが痛みとして居座っている頭の奥で俺はそう思い、今ではすっかり背も曲がり小さくなってしまった叔母たちの姿を梅の花に重ね合わせながら、なるべく静かに窓を閉めたのだった。

      


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