55-8-2(「ブルネレスキとデュシャン」 その2    2/14/2001)



「ミシェル・テヴォーによる復原図(図37)をマネッティの文章によって否定することから書き 出されなければならない」と書いておいて、もう気が変わってしまった。すいません。  むしろ、急いで書かなければならないのは、ブルネッレスキに捧げられたレオン・バッティスタ・ アルベルティ『絵画論』(中央公論美術出版)についてだからである。 「フィリッポ・ディ・セル・ブルネレスコ宛」という序詞で始まるこの本は、1435年に書かれ、 翌年トスカナ語(イタリア語)に訳された。序詞にある通り、ブルネッレスキのために訳されたの である。  アルベルティは本書の中で遠近法を叙述しているのだが、その説明はわかりにくい。

   むしろ、我々が注目するべきは解説の中の以下の文章である。

「アイヴァンス(Ivins)がOn the rationalization of sight(1938 p.14-27)にて、  アルベルティの遠近画法について、「覗き箱」を用いて説明を試みているが、  これも一つの仮説にすぎない」

 覗き箱を用いて、アルベルティの遠近画法を解く。  その構造がデュシャンの『遺作』に近くはないかと考えてしまうのは、僕のひいき目だろうか。 『絵画論』序詞の中で「当地(フィレンツェ)で、あの偉大な建造物(ブルネレスキの作ったサン タ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の穹窿を指す)を見て、建築家ピッポ(ブルネレスキ)を賞 讃しないほど頑迷な、もしくは嫉妬深い人が一人だっているでしょうか」とまで言うアルベルティ。  アルベルティは遠近画法をブルネレスキの作品から理論化したといっていいだろう。  そのアルベルティ、すなわちブルネレスキの理論を覗き箱で考えるとは一体……。

 問題のアイヴァンスはインターネット検索によると、1878年から1964年の生涯の中で、美術館 のキュレーターであり、美術博士であった人物で、1938年から二年間、メトロポリタン美術館のデ ィレクターをつとめてもいる。正式にはウィリアム・ミルズ・アイヴァンス。専門は版画だったよう で、検索では葛飾北斎と並んで名前が出てくることもある。そんな彼がアルベルティの遠近図法を覗 き箱で解き明かそうとするあたり、なかなかのくせ者だったに違いない。  しかも、以下のサイトによれば、  ウォルター・アレンスバーグという人物との手紙のやりとりに「版画部門のアシスタントにウォル ター・パッチとマルセル・デュシャンを使ってみてはどうか」という文章が残っていることが確認さ れているのも刺激的だ。このパッチとは1914年にデュシャンにアメリカ行きをすすめた画家であり、 アレンスバーグとはパッチに紹介されて以来、デュシャンの大半の作品を買い続けるパトロンである。  そして、アレンスバーグとアイヴァンスは私信をかわす仲だったのだ。

   問題の「On the rationalization of sight」は、ドイツ人によるサイトで、このアイヴァンスの著作と確認出来る。  また、同じサイトで著作がニューヨーク発であったこともわかるから、デュシャンとの接触は十分 にあり得るだろう。デュシャンがニューヨークに渡るのは、本が出た四年後の1942年だが、アイヴ ァンスはニューヨークに住んでいたと思われるからだ。  むろん、接触などあろうがなかろうが、デュシャンが本を読んでいればすむことなのだが、これま での『55ノート』で意外な人物の相関図が浮き上がってきており、そこに野次馬的な興味を持つこ とも悪くはない。  ちなみに書き加えておくが、『遺作』を秘密裏に作り始めたのは、移住から四年後の1946年のこ とである。デュシャンは1968年に亡くなるから、22年前(ゾロ目!)からすでに想は得ており、 制作開始までにははアイヴァンスの「覗き箱」からわずか六年しか経っていないのである。  これもまた、日本のデュシャン研究の中でおそらく書かれたことのない事実だ。

 残念ながら、インターネットでは別の本だけが売られており、現在「On the rationalization of sight」を見ることが出来ない(どこかで売っているのを見つけたら、すぐに連絡して下さい…… watched@famousdoor.co.jpまで……と書いた十時間後の今、インターネット上のアメリカの古本 サイトで見つけ注文しました。別な著作もすでにアメリカから発送中。乞う御期待)。

 ともかく、ブルネッレスキからアルベルティ、アルベルティからウィリアム・アイヴァンスと、遠 近法・鏡・覗き箱のテーマは時を越えて変遷を遂げるのである。  



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