55-6-2(ルーセルとの出会い 12/22)



 1933年、カフェ・ド・レジャンスでデュシャンとルーセルは何回も出会っている。  ルーセルは前回出てきたロミーなる人物にチェスを教わっているのだが、図に出てくる 綴りはROMIHとなっているから、これが1924年にデュシャンと一戦を交えているロミー (以前紹介したドイツの出版物『DUCHAMPS SPIEL』によれば「ROMI」)と同一人物か どうかはわからない。 『DUCHAMPS SPIEL』の中にはこんな記述がある。発見者はまたもO君だ。

「1932年12月 パリ。レーモン・ルーセルは、ある問題をビショップとナイトの王手 詰めで解いた(タルタコーバ、「レシキエ」1932年11月号)。デュシャンは有名なカフ ェ・ド・レジェンスでルーセルに初めて出会う。その著作はデュシャンの考え方にぬ きさしならぬ影響を与えたのだった。二人は別々の盤でプレイし、没頭した。お互いに 会話はない」

 芸術家デュシャン側からの証言は、以前にも書いた通り。  他に「私は自己紹介を忘れていたんだと思います」という言葉もある。  しかし、これらの文章ではリアルに状況を想像できなかった。  だからこそ、チェス側からの記録『DUCHAMPS SPIEL』に意味がある。  彼らは同じチェス・カフェ(今なら僕もこのカフェを少しは肉感的に理解できる。今年 の秋、タイの小島に行った折、チェス・カフェにいりびたったからだ)で長い時間を過ご した。長い時間というのは必然である。“プレイし、没頭した”というのだから。  二人は長い時間、同じ空気の中で何時間もチェスをしていた。  そして、“お互いに会話はなかった”という。  だが、ルーセルはロミー先生に質問をする。  ロミーに教えられたことに疑問をさしはさんだりもしただろう。  カラデックは揶揄しているけれど、少なくともルーセルは“チェスを覚えてから、わず か三カ月で定跡を思いついた”人物なのである。異常な理解力と計算力を備えていたのだ。  デュシャンはその声を聴きはしなかっただろうか。

「自己紹介を忘れていた」デュシャンが、ルーセルとロミーが囲む盤をのぞいたことだっ て十分に考えられる。なにしろ、“忘れていた”からには、自己紹介のチャンスはあった のだ。  デュシャンが冷たく過去を語るほどには、彼らの距離は遠くない。  接近遭遇だった。

「マス目というものは(特にポーン・エンディングでは)空間のなかに投影された時間を あらわしている」  ルーセルがそう言ったとき、デュシャンがカフェ・ド・レジャンスにいたという可能性 だってある。1933年の一月、デュシャンがどこにいたのかについて僕が持っている資料 には(チェス側も芸術側も)何も書いていない。  いや、いたからこそ、ルーセルは自分の盤面の上にナイトがいることを無視して、あた かも自分がポーン・エンディングでの勝負を争っているかのように語ったと考えてもいい のである。  まあ、いてもいなくてもデュシャンはその言葉を知ることになるのだが。

   そして、ルーセルは同じ年、死に向かう最後の計画に着手する。  言い残したことはないと思いきったように、彼は死のうとする。

      



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