55-3-9(黄金律)



 彼ら兄弟は一九一〇年、長兄ジャック・ヴィヨンがピュトールに構えたアトリエに出入りし ていたのだった。そして、メッツアンジェら若き芸術家、コクトーら文学者とともに「セク ション・ドール」なるグループを旗揚げする。黄金律という意味である。

 ジャック・ヴィヨンはその頃、ダヴィンチから得た理論を展開し、黄金律をキュビスムの根 底にすえようと模索していた。したがってレーモンもマルセルも黄金律に深い関心を寄せるの は当然のことであった。

 同じ頃、ジュネーブ大学ではソシュールが第二回一般言語学講義を行っていた。だが、彼ソ シュールは前年まで奇怪なアナグラム理論にとらわれていた。その前には霊媒エレーヌ・スミ スが下ろす火星人の言語を研究し続けてもいる。

 この時、ソシュールと同じ大学にいたのが、テオドール・フルールノアであった。いや、た だの同僚どころか、そのフルールノアこそがソシュールにオカルティックな方向を示してし まったのだった。おそらくエレーヌ・スミス自体、フルールノアの紹介である。

 さて、このテオドール・フルールノアが専攻し、研究していたのが実験美学というもので あった。被験者に美的体験をさせ(聴覚サンプルや視覚映像を与える)、得られた快不快、連 想された項目から人間心理や生理にとっての美を割り出すというものである。赤は興奮、青は 冷静といった現代のカラーコーディネートもこのフルールノアの俗流科学的な美学から発生し ているといっていい。

 ともかく、フルールノアは実験によって美それ自体が抽出出来ると考えていた。黄金律はそ の根本にある考え方に違いない。したがって、彼の怪しい研究がデュシャンらの興味をひいて もいっこうにおかしくない。

 しかも、「セクション・ドール」に参加していたメッツアンジェらが『キュビスム論』を出 版した一九一二年の十月、つまりルーセルの『アフリカの印象』上演を見たのち、デュシャン は盟友ピカビア、アポリネールらとともにスイス国境ジュラへと自動車旅行をしたのだった。

   



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