55-2-10(ルーセル チェス開始)



 同じ年、つまり一九三二年。ルーセルはもうひとつ、おかしな形でデュシャンに挑みかか る。チェス雑誌『レシキエ』への定石発表がそれである。期を一にしてこの年、デュシャンも またハルバーシュタットという人物とともに奇妙な定石研究の大著をあらわす。

 二人はこの年、チェスを介して明らかにコミュニケーションをしている。いや、黒ルーセル の、一方的で得体の知れない模倣が究極に達したというべきかもしれない。

 模倣はそもそも、ルーセルの生涯にとって最も重要な行為であった。彼が他人のしゃべり方 を真似するとき、本当にその人がいるとしか思えなかったという証言があるほどだ。ルーセル 自身もそのことに自信を持っており、レパートリーを書き並べたメモをポケットにしのばせて いたとも言われる。

 そして、あれほど独創的な仕事をした人間ルーセルは、遺書である『私はいかにしてある種 の本を書いたか』の末尾にこう記し、模倣の才能をかみしめる。悲痛な思いがあまりによく伝 わってくるので最終行まで引用しておきたい。

「この文章を終えるに当たり、私は、私の作品がほとんど至るところで、敵意ある無理解にぶ つかるのを見ていつも感じたつらい気持ちに再び思いおよぶ。

(『アフリカの印象』の初版が売り切れるのに、少なくとも二十二年かかった)

 私は、ピアノの伴奏を自分で弾いて歌った時と、とくに、俳優と何人かの人たちの物真似を した時のほかは、本当の成功の味というものを知らなかった。けれど、こうした時には、成功 は、大変なもので、満場一致だった。

 今のところ、私の本が、死後いくらか成功を博すだろうという希望をあてにするしか手がな い」

 これが二十世紀の芸術、文学に多大な影響を遺したルーセルの最後の言葉である。デュシャ ン、ピカビア、ブルトン、ダリ、ミシェル・レリスらに方向を示し、あるいはミシェル・フー コーをして一冊のオマージュを書かせた人間の孤独な、偽らざる感情である。

 模倣はこのようにルーセルに残された最後の栄光のよすがであった。そのよすがが無意識的 にデュシャンを選び取り、デュシャンになりきることを選ばせたのだとしたら……。

 白で指したはずのないデュシャン、先手に呼応したつもりだったデュシャンがいつの間にか 白番にさせられ、逆に模倣されて追われる。ルーセルが仕掛けたこの困難なゲームを、果たし てかの芸術家はどう切り抜けたのだろうか。チェスマスター・デュシャンなら、そのような終 盤戦にあえて挑まないはずもない。彼こそエンドゲームの天才だったのだから。

 デュシャンの遺作、『1.落ちる水 2.照明用ガスが与えられたとせよ』は、したがって僕 にとって白反撃の決定的な指し、終盤戦の掉尾を飾る最後の一手が隠された偉大な棋譜だ。

 



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