MARCH

寄せ植え/春

●三月の寄せ植え/ひと鉢で大混乱(1999,3,16)

 誕生日が三月なので、テレビ番組のスタッフから大きな寄せ植えをいただいたのである。
 鉢は直径三十センチ強。真ん中に陣取って割れた葉を力いっぱいに茂らせているのは身元不明の観葉植物。いまだに何物か同定出来ぬのだが、素晴らしい元気さである。
 その植物の根元には二種類の苔が植えられ、しかもその苔の間からはツタが飛び出して、鉢を二巻き、三巻き、なんだかジャングルのようにしている。
 さらにさらに、うれしいことに、それら豪華な茂りの陰に小さなベンジャミンまで植わってるのであった。小さいといっても根はがっちりと太くふくらんでおり、猛禽類の爪のごとく土をつかんで離さない。
 俺は重量級のそやつらを玄関まで運んできて、しばらくうっとりと見とれながら思案した。さて、そこに置こうか。そういう問題が発生したのである。
 置き場所の片さえつかないうちに、ベランダからシャベルと空の鉢を持ってきていた。 ベンジャミンを植え替えてしまうためである。日を置けば育ってしまう。育てば必ず中央の主役と陣取り合戦になる。葉は押し合いへし合いし、根はからみ合う。それですかさず鉢を別にしようとしたのである。
 本当は立派なツタも植え替えてしまいたかったのだが、そんなことをしたら最後「寄せ植え」でもなんでもなくなる。俺はみなぎる欲望を抑えて、ベンジャミンを単体にし、少しだけ苔ももらって一鉢とした。
 結局、本体は北の窓の下に置くことになった。それまでは漫然と新聞を重ねていたのだが、きっちりと整理すればなんとかなると判明したのだ。で、弱ったのは新しいベンジャミンの置き場所であった。
 ようやくスペースを見つけ、大鉢が片づいたたと思ったのだが、ふと見ればまたひとつ増えているのである。あたかもシジュポスの神話のようである。置いても置いても増える。
 俺は北の窓の前で思案にくれた。自然、少し幅のある窓の桟に並べられた四個の鉢を見る。一番はしっこのウコンがしばらく静かである。これは枯れているのではないか。いや、枯れているに違いがない。勝手に一人決めして、大急ぎでウコンを取り去り、そこにベンジャミンを置くことにする。青々としたベンジャミンは窓の桟の一番左でさわやかに落ち着いた。
 むろん一応ウコンの状態を確かめておこうとベランダへ行った。「死者の土」の上に中身をぶちまけてみる。すると、どうだろう。野郎は細々とではありながら、根茎を二つばかりふくらませている。やや、これはしまったとあわてふためいて、そいつを鉢に戻し、新しい土に包んでやる。すると、ウコンの置き場がない。ほとんど茫然として鉢を持ったまま元の場所に戻った自分がいた。愚かなり。そこにはすでにベンジャミンがいる。
 それで風呂場の小窓のあたりに置いてあったオリズルランのかたわれを無理やりベランダの劣等条件の土地に移し、風呂場にウコンを置くことにした。置いたはいいがウコンの鉢は妙に小さく、どうも格好がつかない。オリズルランの大きさがちょうどよかったのである。
 引き返してオリズルランを元に戻そうとしたのだが、すでにやつはベランダの端っこでコンクリの壁に押し潰されそうになっていた。 見るも無惨な状態で、調子よくあちこちに移動させ続ける自分がいやになった。それでオリズルランの置き場は変えないことにして、もっかの大問題のウコンを持って部屋中をうろうろする。ベランダに残っている場所はすべて条件が悪いのである。ウコンはベンジャミンに席を譲ったのだから、少しは待遇をよくしてやらなければ根茎から葉を出すことが出来ない。
 いかにも優しげな俺ではあるが、すでにオリズルランを大変な目にあわせているのである。そこに目をつぶって徘徊を続けた。続けるうちに風呂場の小窓に何も置かれていないのに気づき、息をのんだ。なぜ空いているのだ! ここにひと鉢置けるではないか!
 なぜも何もない。今、手にしているウコンがさっきまでそこにあったのだ。もう俺は馬鹿同然であった。
 俺はその後も様々な鉢を持ち、土をあちこちにこぼしながら大移動を続けた。
 あれこれ考えた末、風呂場にはベンジャミンを置くことにして、その分が空いた北の窓の桟には復活したてのチャイブを置き、チャイブを置いたことでまたも居場所を失ったウコンを東の窓の好スペースにいったんは移動させてみる。しかし、あまりにそこが混み合って見えるので、ウコンは結局劣等条件どころか、「死者の土」から生えた葉ネギの横に埋め込まれた。今度はウコンのために少し空けた東の空間がもったいなくなって、そこにアブラムシで絶滅しかけたが見事生き返ったレモンバームの小鉢をベランダから取って来る…………。
 はっと気づくと俺は四時間もそんなことをしていたのである。
 思いがけないひと鉢が来るだけで、俺の部屋は大混乱する。
 ありとあらゆる鉢があちらこちらへと動き、また戻されては植え替えられ、そしてまた増えてしまうのである。
 おお、都会。
 限りある資源。
 いや、限りがあるのは俺の頭脳ではないのか。
    

  ●三月の春/みんなは知っている(1999,3,26)

   俺は軽い風邪をひき、薬を買おうと玄関を出てエレベーターに乗ったのである。三月中旬のある日。夕方前のことだ。
 エレベーターの中にはマンションの管理組合長が乗っていた。いつも俺に優しくしてくれるその人はマスクをかけていた。
「こんにちわ。いやあ、僕も風邪ひいちゃって」
 と俺は言った。
 その人は黙って目を細め、小さく笑ってうなずいた。
 俺は調子に乗って重ねた。
「毎日冷えたり暖かかったりするんで、調子がつかめなくって」
 すると、その人は一瞬とまどったような顔をして、それからすぐに答えた。
「今日の風で春になるらしいよ」
「へええ、早く春が来てくれないとねえ」
 その人と別れてマンションの外に出た俺は驚いた。のろのろと風が吹く町はすでに気持ち悪いくらい暖かかったのである。
 俺は昼まで寝ており、一歩も外出しなかったから一人春の到来を知らなかったのであった。何が”調子がつかめなくって”だ、何が”早く春が来てくれないと”だ。これほどはっきりした陽気の変化を把握せずに鼻水など垂らし、いい加減な言葉を吐いていた俺はなんという馬鹿者であったろうか。
 数分後。薬を片手に帰路についた俺は、気づいていながら認識していなかった重大なあることに思いあたった。考えてみれば、虫にやられて弱り、根元から切断してあったチャイブが芽吹いていたのである。すっかり枯れていたミントの大鉢に一点の緑が生じてもいた。こちらも死んだのではないかと半ばあきらめていた野梅の枝からも芽は顔を出していたのである。まさにその日、俺は部屋の中にいながら、すでに春の訪れを知っていたはずなのだった。
 家に戻ってあわててすべての鉢を見て回った。ミニバラが伸び始めていた。裸のムクゲにも小さな芽があった。そして、何よりも二鉢あるアマリリスのうち、部屋に取り込んでおいた方になんと蕾がついていたのである。
 もはや花など期待していなかった。あきらめながらひとつはベランダに置き、ひとつは部屋に置いて様子を見ていた。それがあきらかに蕾をつけている。下手をすると太い葉と間違えかねない形だったので、俺は何度も確認した。どう見てもふくらんでいる。ベロンと伸びた葉の横から顔をのぞかせているのだ。アマリリスの情報展開速度からして、二週間先には丈が五、六十センチになり、蕾がグングン太っていってやがて花が咲きこぼれることは確かだった。
 みんなは知っていた。一進一退の陽気の中、その日突然春風が吹くことを、彼ら植物は明確に知っていたのだ。それで芽吹き、それで蕾をつけ、それで一斉に冬眠から目覚めたのである。そう思うと頭がクラクラした。風邪のせいではなさそうだった。
 ベランダの鉢どもがそれを予知するのはさほど不思議ではない。だが、部屋に置いた植物は俺同様、気候の変化を温度では計りにくいのである。こまめに開ける窓から風の様子を探るのだろうか。それとも気圧の変動を計測し続けているのだろうか。
 ともかく、俺以外のみんなはいつからが春なのかを厳密に測定し、声なき声でひそやかにカウントダウンを始め、そして人間がデジタル時計を横目に「ハッピーニューイヤー!」と叫ぶようにしていちどきに空へと伸び上がったのである。
 みんなは知っていた。
 みんなで待っていたのだ。

 春を。

             


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