NOVEMBER

ボタニカル・ハードボイルド/シャコバサボテン

●十一月の陽気/ボタニカル・ハードボイルド(1996,11,6)

 久しぶりに休みを取ることが出来た。本当に久しぶりに。
 今日から三日間、俺は家でゆっくりしていられる。原稿の締め切りはあるけれど、苦痛なんかない。小説以外の何かを書くことは料理を作って食べるような日常だし、書くものがなければこうして植物のことを文字にする。俺はそういう人間だ。
 これがボタニカル・ハードボイルドってもんだぜ。
 今日はひどく冷えた。昼過ぎに起き出して窓を開けた途端、あまりの冷気に驚いた。空は雪でも降りそうな厚い雲で覆われていて、遠くの車道から響く音もこもりがちだった。昨日までの曖昧な気温が信じられないくらいの、それは冬の陽気だ。
 ベランダに置かれた段ボールの箱を持ち上げた。中にはシャコバサボテンの鉢が三つある。二つの小さな鉢は、摘んだ葉を差して増やしたものだ。
 そう、俺は毎日欠かさず短日処理をしてるのさ。このくそったれな作業については別の機会に書くことにして、俺自身の話を続けよう。
 芽を大きくし、赤く色づかせたシャコバの野郎をながめながら、パジャマの俺は考えた。
 以前なら俺はこの陽気の変化を受け入れられなかった。昨日が暖かいのなら、今日は少しだけ暖かさが減っているくらいだろうとしか考えられなかった。漸進的に寒くなるのが秋から冬で、漸進的に暖かくなるのが冬から春。そして夏が来る。そうやって機械的に季節を覚えていたからだ。
 俺はこれまでの三十五年間、季節を虹みたいに思ってきたことになる。グラデーションを描いて変化するもの。それが季節だったし、陽気だったのだ。
 だから、俺はいつでも着るものに失敗した。窓から顔を出して感じた温度よりも、虹の論理を優先させていたからだ。昨日が寒ければ、やたらと着込む。暑ければ、徹底的に薄着をする。それで余計に汗をかいたり、くしゃみをしたりしていた。
 だが、今日は違った。俺はベランダで天気図を思い浮かべていた。そして、低気圧が来ているんだなと思った。だから、急に冬が訪れたのだと納得し、そいつが連れてきた冷たい空気をわざとパジャマの中に入れさえした。
 俺はついに覚えたのだ! 陽気はバラバラにやって来て、この世界を暖めたり凍らせたりするということを。秋だから薄ら寒いわけでもなく、逆に太陽が黄色く光っているわけでもない。言葉を裏切って進むのが陽気というものなのだ、と。
 久しぶりの休みの日、俺はそうやってまたひとつ、誰も教えてくれなかったことに 気づく。そして、寒さで弱ってきた様子のオリヅルランを二つ、部屋の中に運び込んでやる。
 これが俺の毎日、ボタニカル・ハードボイルドだ。
 田舎で畑を持つのも確かにいいだろう。
 だが、俺はこの暮らしがやめられねえんだ。
 長年都会に生きてると、くだらないことに感動出来るからな。


●十一月のシャコバサボテン/短日処理の日々(1996,11,27)

 短日処理という不可解な響きの言葉を正確に聞き取ったのは、確か一カ月ほど前のことだった。それまで俺はその響きの裏に避妊処置というイメージをだぶらせており、何やらよからぬことを様々に想像するだけだったのである。
 こうして,知っていても認識していないという現象は面白い。
 たとえば、俺はある時まで半永久的という言葉の意味を把握していなかった。昔、下着なんて半永久的に着られるものだと言った人がいて、俺はそれを永久的という意味に解釈していたものである。おかげで、いつまでたっても下着を捨てられず、すっかりゴムのゆるくなったトランクスを箪笥に入れておいたのだ。
 下着も消耗すると認識したのはずいぶんあとになってからのことだった。つまり、半永久的が永久的と違うとわかった途端、俺は箪笥から古くなった下着をごっそりと捨てたのである。確かきっかけは時計の電池が切れたことだったような気がする。半永久的に動くとされていた時計が止まり、俺はショックを受けたのだ。半永久とは永久ではなかったのか! 永久の半分だって永久のはずではないか!と。
 まあ、これはおそらくネーミングの問題だろう。半永久的だなんていい加減な定義をするから、俺のようにとまどい続ける人間が出てくる。
 比べて短日処理という言葉の呑み込めなさはどうか? これはひとえに処理の部分にかかっている。普通、処理といったら科学である。鉢植え界では他に使いようのない言葉なのだ。それでこちらはとまどう。とまどったあげくに、処分と混同する。なんだか冷酷なイメージをぼんやりと抱き、きちんと覚えることを否定するようになる。
 それで、精神分析でいうところの否認が起こるのだ。知っているのだが、認めないという現象が、である。
 ともかく、俺は一カ月ほど前、短日処理を正確に理解することになった。蕾はつけているのになかなか咲こうとしないシャコバサボテンに業を煮やしていたからであった。その進行の遅れがどうやら短日処理に関係あるらしいのだ。
 くわしい人には言わずもがなだが、シャコバサボテンは秋から日射量を減らしてやらなければならない。光を感知する時間をなるべく限定するのである。そうしないと、やつらは花を咲かせず、いつまでもうじうじしているのだという。部屋に置いてカーテンをしめればいいというものでもない。微量の光でもシャコバは感じ取り、花の時期を送らせてしまうからだ。まさか、真っ暗な部屋で暮らすわけにもいかないだろう。それでは、俺がしぼんでしまう。
 黒いビニールだの、段ボール箱だので遮光をするのが最もいい方法で、つまりそれが短日処理の実態なのだった。
 これには俺も焦った。咲くなら勝手に咲けばいいし、その気がなければ葉でも茂らせていればいいと考えていた俺だが、蕾という中途半端なところで歩みをとどめているシャコバにはそもそも忸怩たるものがあった。
 なじみの花屋へ行き、段ボール箱をもらってきた。シャコバの鉢は三つあった。もとの鉢がひとつに、そこから増やした小さな鉢がふたつ。その三つがきちんと光から護られるようなサイズを考えて、俺は段ボールを調整した。
 最初にかぶせる時は少しわくわくした。なにしろ、処理である。科学実験なのだ。おそらく、日光写真を作る時くらいの興奮だったと推測出来る。
 しかも、俺は開始時期を待ちに待っていた。一カ月間家を離れる予定がない時を見計らってやらなければならなかったのだ。ついにその一日目が始まった。そう思うと緊張で少し喉が渇いたくらいだ。
 だが、そこからが長かった。短日処理は下手をすると一カ月続けなければならないのだ。
 だいたい、俺が起きるのは昼過ぎである。眠るのが朝の四時か五時。シャコバへの日光のことを考えると、これはかなり不自然な生活パターンだ。夜十二時に箱をかぶせたとする。そうなると、シャコバたちが次に日の光を浴びるのが十二時間後。短い秋の一日を思えば、あまりに光が足りないような気がする。
 それでは、眠る前ならかぶせ時かと言えば、そうでもない。仕事へ出掛ける前に段ボールを取っていかざるを得ないから、暗い時間が圧倒的に足りなくなる。帰ってくるのが十二時過ぎになることなどざらだからである。
 光が足りない方がまだましだと思った。なにしろ、短日というくらいだ。厳しい実験環境でも、シャコバの反応が期待出来ないのでは意味がない。
 こうして、俺は来る日も来る日も段ボール箱を上げ下げした。夜帰ってくると段ボールをかぶせ、起きるとあわてて取りのける。どんなに泥酔した翌日でも、俺は段ボールのことを忘れなかった。疲労困憊して寝足りなくても、必ず段ボールのために起き出した。俺は一個の、段ボール上げ下げ機械と化していた。もはや、短日処理というより、段ボール処理といった方がふさわしいほど、俺は毎日欠かさず段ボールの前まで足を運んだ。
 根気のない俺がなぜこれほどまでにひとつのことを継続させていられるのかと、不思議に思ったものだ。それこそ、半永久的にやってしまうおそれさえあった。
 自分でも笑ったのは、無意識に段ボール処理をしていたことである。俺はある日あわてて起き出した。うかうかと午後二時頃まで寝過ごしたからだった。だが、なんと驚くべきことに、すでに段ボールは取り去られていた。どうやら、夢遊病者のように俺はふらふらと起き、シャコバを日に当てていたのだった。
 シャコバはかなり経ってから反応を始めた。蕾が赤らみ、ぐんぐんとせり出してきたのだ。俺は褒美を与えられた子供のように真剣になり、ますます段ボール移動に集中した。
 そして、今月の十四日。ついにシャコバは最初の花を咲かせた。ふちが紅色で、まるで紙で出来た中国のおもちゃのような花びらが、風に乗る蝶みたいにはね上がっていたのだ。蝶の羽根の根元にはまた別の花びらが飛び出していて、活き活きと垂れ下がっている。人工的な処理にぴったりの人工的な花。それが俺の目の前に存在していたのだ。
 だが、俺はそれで油断をするような男ではなかった。続いて開花を狙う蕾たちのために、なおも段ボール処置に命を賭けなければならなかった。俺は起きた、俺は眠った、必ず段ボールを移動させながら。次々に花は開いた。蕾はふくらんだ。葉は伸びた。
 俺は自分の不注意を悔いていた。いつ短日処理を終えればいいのかを、俺は調べないまま実験に突入していたのだった。蕾ある限り段ボールを動かさなければならないとしたら、あまりに無粋だった。そこには美しい花があるのだ。その花たちに薄汚れた段ボールをかぶせ続けるのは酷だった。
 だからといって、やめてしまえば他の蕾に悪かった。しかも、シャコバは敏感な植物で、環境の変化に弱い。光が当たる時間が唐突に長くなれば、花が落ちることも考えられた。それは昨年すでに思い知っていた。本当にわずか位置を変えただけで、花がいくつか落ちてしまったからだった。
 俺は悩んだ。花を咲かせたのはいいが、それがすべて散るまで段ボールに支配されているわけにもいかなかった。俺はシャコバを楽しみたいのであって、箱の移動が楽しいわけではないのだ。これでは本末転倒だ。
 そして、三日前。俺はついに段ボールを捨てた。二度とそいつにとらわれることのないよう、俺は段ボールをひきちぎった。シャコバはその様子を見ていた。もしかすると、ああ私のシェルターが……とつぶやいている可能性もあった。だが、もう遅い。短日処理は終わってしまったのだ。
 今、シャコバの花は少し元気なく垂れている。だが、俺はやつらに向かってこう言うしかない。
 お前の世話は十分にした。
 あとは自分で咲いてくれ。
 お前はあくまでもシャコバサボテンなのだ。
 いつまでも段ボールの付属品でいてはならない、と。
 つまり、俺は娘を独立させるような気分で、一人段ボールをひきちぎっていたのである。


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