55-7-6(ソシュールのアナグラム 5/25)



 二人のソシュール、と言われる。  一般言語学について考え抜き、挫折したように沈黙の時期に入るソシュールは、その時 期にアナグラムに没頭し、また霊媒エレーヌ・スミスがしゃべる“火星語”の研究をした りし始めるからだ。  言語学の構造主義的な解読に限界を感じ、ソシュールは言ってみればわけのわからない 思考の中に深く潜入する。  それはただの思いつきと言えるようなものではない。手稿にして、ギリシア・ラテン語 詩に関するアナグラム研究が百二十冊、ヴェーダ詩だと二十六冊。それだけの分量のノー トをつけるほど、ソシュールは本格的だった。  ソシュールのアナグラム論は非常に複雑(ソシュールらしく次々に造語を作り、アナグ ラムの世界を二分化しながら進んでいく)なので、最も有名な例を下に挙げる。  以下は太陽神アポロをうたったラテン語詩の一節である。


図36


 「勝利のあかつきには私の神殿にたくさんの供物を持ってきなさい」
 そう書かれた一文だが、ソシュールはその意味の中に「APOLO」という音を聞く、あ
るいは読む。ちなみに、右の枠で囲まれた部分がソシュールのいう「マヌカン」で最初の
音が「a」、最後が「o」となり、「APOLO」の頭と尻と同形になっている。
 こういったあからさまな示唆がマヌカンとして現れる前後に、テーマ(この場合はアポ
ロ)の音が散りばめられるという法則を、ソシュールは強調している。

 むろん例はこれだけではない。
 故丸山圭三郎氏によれば「降るように」見出されるこうしたアナグラムの例にソシュー
ルは驚愕し、詩人たちの意図的な音律上の技術があった可能性を確信したのである。
 一九〇六年に始められたこの研究は一九〇九年、現代ラテン語詩人であるパスコリへの
二通の手紙(つまり、「あなた方は意図してやっているのでしょう?」という意味をぼか
して送った手紙)と、「単なる偶然の照合でしょう」という返事によって終わる。
 
 たった四年の差で一九一〇年、ルーセルが自費出版した『アフリカの印象』の配本が行
われている。

 ソシュールはルーセルに手紙を書くべきだった。
 ルーセルなら「はい、その通りです。私は詩の中にひとつの単語から取った音を散りば
めています。理解者はあなただけです!」と返事を書いただろう。
 ルーセルは失意のどん底に落ち込まずにすんだだろうし、ソシュールも同じである。
 むろん、ソシュールはアナグラム研究を続けただろうし、ひょっとしたらジュネーブ大
学で『一般言語学講義』など行わず、つまり構造主義言語学は生まれなかったかもしれな
いのだ。

 わずか四年の差。
 いや、『アフリカの印象』執筆を考えれば、ソシュールとルーセルはまったく同時期に
そっくりな問題系の中にいたことになる。実作者と研究者として正反対から盤面に向かっ
ていたことになる。

 孤独なチェス。
 
 

 


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