
55-3-2(ルーセル定跡)
アーマンド・P・アーマンが遺作論のかわりに架空棋譜まで作って示唆しているデュシャン のチェス研究が出版された年、ルーセルもまた定跡を”発見”していた。
「一九三二年、私はチェスを始めた。三ヶ月後私は、ビショップとナイトの非常に難しい王手 詰めに関する(……)定石を発見した」(『レーモン・ルーセルの生涯』)
この時、”発見”を世に広めたのが『レーモン・ルーセルの生涯』の中でタルタコヴェール と訳されている人物、日本チェス界では一般にタルタコーバと呼ばれている男である。 フラ ンスでは当時『レシキエ(チェス盤)』という雑誌が出版されていた。というか、ヨーロッパ 各国で同じ系統の雑誌が出ていた様子なのだが、それらをまとめていたのがこのタルタコーバ であった。
タルタコーバはルーセル定跡を「魔術的」と言い、「独創的にして簡潔」と持ち上げなが ら、ルーセル作品の文学的意義をも述べてみせる。それらタルタコーバ執筆の記事はやがて、 ルーセルの遺書に、あの『私はいかにしてある種の本を書いたか』と並べて載せられることに なる。誰に誉められても理解しなかったルーセルが、なぜか晩年、畑違いの男によるありきた りの文学論だけを後世に遺そうとしたのだ。
ここに何か意図がないという方がおかしい気がする。怪しさの手がかりはまず以下の事実に あるのではなかろうか。
ルーセル研究第一人者の岡谷公二氏にいただいた遺書には、チェスがらみの記事が都合三本 印刷されている。そのうち二本はタルタコーバによる文章で、もう一本はロミーというチェス プレイヤーによるものだ。文責者が誰であれ、掲載を決めたのはタルタコーバ以外ない。
そして、そのタイトルがなんと『キングの決闘』なのである。内容は終盤戦において、ポー ンとナイトが残った場合の考察。デュシャンとハルバーシュタットの共著へのある種のあてつ けというのは考えすぎだろうか。
しかも、「一九三三年一月に行われた対局」をもとにしたこの記事には、以前引用したルー セルの謎のひと言が書かれているのだ。
「チェス盤のマス目は(とりわけポーンだけの目的にあっては)空間に投影された時間をあら わしている」
ルーセルはデュシャンの大著を明らかに意識している。それを読んだ上で、驚くべきことに デュシャン作品のイディオムとチェスの終盤戦を結び合わせて言語化している。
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