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 しかし、この年に関する想像はもうひとつある。この節の冒頭に書いたローズ・セラヴ ィについてだ。当初、ローズ・セラヴィのつづりはRose Seravyだった。それが翌年、 Rrose Seravyに変わる。Rがふたつ重なるのである。デュシャンはカバンヌとの対話で、 この変化について語っている。

 あるパーティでピカビアの絵に寄せ書きをした際、デュシャンは「Pi qu'habilla Rrose」と文字遊びを書いたと言う。強いて意味を取れば「ローズが着せたπ」となるら しい。音としては、ピカビアの名とローズ・セラヴィの名が同時に潜んでいるし、文中に ある文字の並び「arrose(水を注ぐ)」はバラの意にも結びついている。この「aroose」 がふたつのRの起源だと示し、「すべては言葉遊びでした」とデュシャンはそっけなく話 を終える。

 ただ、実際ピカビアの絵に残っているのは「En 6 qu'habilla rrose Seravy」(ローズ ・セラヴィには6がお似合い)という文である。「En 6」はピカビアのラストネーム、フ ランシスの「アンシス」と読めるから、地口はより精巧に出来ていたわけだ。また、デュ シャンは別な場所で「Lloyde」のように同子音の反復で始まる語に興味があったとも言っ ている。

 しかし、チェスからだけデュシャンを考えてみようとする僕にとって、Rがふたつ重な ることはそのまま盤上両端にいるルークを意味する(ROOK)。

 ちなみに、デュシャンはこのルークを幾つかの作品の名に織り込んでいる。モナリザの 絵葉書「L.H.O.O.Q」にしても、RとLの違いはありながら(いや、その違いを積極的に Right、Leftとすればまさにルークの所定位置にもなる)ルークとなるのだし、『泉』の 偽名にもルーク、Rは現れている。R.MUTTという偽名について、デュシャンは「MATTでも よかった」と話している。「MATT」は「MAT」を思わせる単語である。フランス語でメイ トのことだ。それなら、R.MUTTは”ルークでメイト”と読んでもいい。

 そしてもうひとつ。ルーセルとデュシャンの交差を考える者として連想するのは、ルー セルが便箋に使った鏡文字である。それはふたつのRが正反対に重なった記号なのだ。R aymond Rousselの略称RR。一九二〇年、デュシャンはまるでパリから消えたルーセルを その身にまとうかのようにローズ・セラヴィを名乗り、その本当の意味を翌年ふたつのR であらわしたのだとしたら……。ちなみにルーセルは同性愛者であり、彼こそがセラヴィ という女性名を名乗ってもいい人間なのだ。

 ちなみに、ふたつのRが現れる一九二一年、デュシャンはダダ雑誌『391』に初めて 地口を発表している。あたかもルーセルを模倣したような言葉遊びを始めた途端、彼はロ ーズ・セラヴィにふたつのRを刻み込んだのだ。また、アナグラムとデュシャンの歴史を 追えば、一九三九年出版の地口集が浮かび上がってくる。タイトルはそのものずばり『ロ ーズ・セラヴィ』。ローズがルーセルの影であるという説はますます強く僕の頭を支配す る。 

 日本を訪れたルーセルが人形浄瑠璃や歌舞伎を見たという空想と同じくらい、真実味の ない話。

 だがしかし、こうした妄想をメイルで読まされていたアマチュア・チェスプレイヤーの O君から、ある日僕は刺激的な返信をもらうことになる。「チェスの洋書の中にセラヴィ とデュシャンの架空棋譜がありました。ひとまず送ります」というのである。それは僕に とって、まるでルーセルとデュシャンの秘密の対局のように思われた。早速チェス盤を取 り出し、棋譜をたどってみた。

 この棋譜が巡り巡って、やがておかしな事実につながっていく。

 そう、あのRRの鏡文字が盤上にはっきりと現れることになるのだ。

 一九二九年のパリで。

 



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